運営者について
はじめまして。アモルファティを運営している管理人「メヒカリ」といいます。
年齢は30代で、経歴としては福祉の仕事からITの仕事まで、いろいろな仕事をしてきました。
特別な経歴があるわけでも、何か大きなことを成し遂げてきたわけでもありません。
むしろ学校も不登校になったし、定期的に仕事も場所も転々とするし、地に足がついてないと
自分では思います。趣味と言えば、ギターとカラオケ、そしてキャンプとドライブあたりかな。
私は一言でいえば、【自分が嫌い】だからこの活動を始めてみようと思いました。
・・こちらも以降の項目で長々と内容を書いていますが、完結にいうと、
”もっと自分を好きになりたいよね”ってことなんです。自分は”一人でいる方が楽”と心底
感じていて、他人と関わるとすごく疲れます。仲が良くても疲れるは疲れるんです(泣)
他人には気を使うことが全力で本当の気持ちは隠すように生きてきました。
ついでに仕事も嫌いだし、ネットも極力ROM専で生きてきました。
それでも、一人の時間に湧いてくるのは、虚無感や孤独感などの寂しい気持ちです。
多くの人は、好きなものがあったり、家族がいたり、やりたいことがあったりと忙しくしている
人が多いですよね。自分も趣味はあるけれど、死ぬまでの暇つぶしという感じで一般的な好きという感情のようには思えないんです。
(それも思い込みかもしれないけど、他人の言葉ってとても重く捉えてしまいます・・・)
そういう時に思うことは、”なんかイライラする”っている感情です。つまり現状に不満ということ。それを解消するには、なぜかこのサイトを作って他人と活動をしてみようと思ってしまったんです。これは向上心とかではなくて、ただの憤りで、私は自分の感情を整理したいと思うし、同時に同じように悩んでいるひとがいたら、協力できないかなと思いました。
長文になってしまいましたが、以下の、項目はもう少し細かく説明してます。でも面白そうだったらいつでも声を掛けてくれれば、私にとっては救われますので、ぜひお問い合わせお待ち
しています!
アモルファティを始めた理由
アモルファティを始めた理由をきれいに言えば、「人と人が支え合える場所をつくりたかった」となるのかもしれません。
でも、もう少し正直に言えば、この活動の出発点にあるのは、私自身がこれまで感じてきたさまざまな「憤り」です。
世の中にある問題の中には、何をすれば少し良くなるのか、方向性や正解が決まっているものがたくさんあります。しかし、社会全体にとって望ましいことと、一人ひとりにとって合理的な選択が、必ずしも一致しません。いわゆる囚人のジレンマという概念です。
競争の中にいる以上、自分の時間やお金を自分のために使うことは自然なことです。他人のために自分だけが我慢を続ければ、いつか疲れてしまいます。私自身、我慢を重ねて、最後には嫌になってしまうことを何度も経験してきました。
だから私は、「もっとみんなが我慢して、他人のために行動すればいい」とは思っていません。
むしろ、自分のために行動することと、誰かのためになることを、できるだけ同じ方向にできないだろうか。それなら、善意や自己犠牲だけに頼らなくても、人と人が関わり続けられるのではないか。そんなことを考えるようになりました。
仕事や将来について思うこと
私は、仕事そのものを否定したいわけではありません。
ただ、仕事に精を出し続けた先に、自分にとってのゴールがあるのかと考えると、私にはよく分かりませんでした。
収入を増やすこと、より高い立場を目指すこと、仕事のできる人になること。それを目標にできる人もいると思います。しかし、それがすべての人にとって同じように幸福につながるとは思っていません。
私自身は、仕事に使う時間を少し減らして、その分、自分のための時間や、人や社会と関わるための時間を持った方が幸福なのではないかと思うようになりました。
仕事でもプライベートでも、自分を偽ったり、必要以上に気を遣ったりする状態が長く続くことは得意ではありません。たとえ好きな仕事や人間関係であっても、無理を続ければ、いつか嫌になってしまいます。
そのため今は、辞めることも一つの選択肢として持ちながら働く方が、自分には余裕を持って仕事と付き合えると考えています。これはあくまでも主観的な意見で正解ではありません。
将来についても、「普通」からは程遠いものになると感じています。
多くの人が家族を持ったり、昇進したり、趣味に没頭したり、何か動機や目的があると思いますが、私にはないように思います。それは劣等感の元になりますが、でもどうしようもないことだと思います。運命を愛するつもりなら、それを受け入れた仲間とともに歩むことに面白味を見出したいと考えています。
「支援」は思っていたより優しくない
福祉の仕事に関わった経験から感じたことの一つに、「支援」という世界も、必ずしもすべての人にとって優しいわけではないということがあります。
制度や支援には対象や条件が必要です。それぞれの仕組みには、その条件が設けられている理由もあります。
しかし、結果として、どの制度にも当てはまりにくい人がいます。
ボランティア活動を探してみても、年齢や対象が限定されていたり、親子での参加が前提だったりと、意外と参加できる人が限られていることがあります。
特に現役世代の課題や悩みには、「生活そのものができないわけではない」「専門的な治療や介護が必要なわけでもない」、それでも孤独だったり、社会とのつながりを失っていたり、どうやってもう一度人と関わればよいのか分からなかったりする人がいると思います。
そんなとき、必ずしもすぐに問題を解決する必要はないのかもしれません。
同じような気持ちを持つ人と話す。愚痴を言う。誰かの愚痴を聞く。「自分だけではなかった」と思う。それだけでも、孤独が少し楽になることがあります。
問題を解決できなくても、一緒にいることで少し楽になる。そんな場所があってもいいのではないかと思いました。
人には、仕事以外の役割があってもいい
私は、人が幸福に生きるためには、自分なりの「役割」を持つことも大切なのではないかと考えています。
それは、必ずしも仕事である必要はありません。
誰かの話を聞く。イベントの準備を手伝う。地域の清掃をする。困っている人を少し手伝う。自分の知っていることを誰かに教える。
大きなことを成し遂げなくても、「今日は自分にもできることがあった」と思えるだけで、人と社会との関係は少し変わるのではないでしょうか。
そして、いつも誰かを助ける側でいる必要もありません。
余裕があるときには誰かを手伝い、自分に余裕がないときには誰かに助けてもらう。その役割が入れ替わりながら続いていく関係があってもいいと思っています。
だから、アモルファティを始めました
私は、社会を大きく変えられるとは思っていません。
競争そのものをなくすこともできませんし、社会にあるすべての問題を解決することもできません。権力やお金がなければ人を動かすことも難しいでしょう。
それでも、自分の手が届く範囲くらいは、自分がもう少し面白いと思える形にできないだろうか。
仕事だけを人生の役割にしなくてもいい。競争から少し降りてもいい。孤独なときには誰かとただ話してもいい。余裕があるときには誰かを少し手伝えばいい。
そんな選択肢を一つでも増やしてみたい。
そのための小さな実験として始めたのが、アモルファティです。